ページの表題 森田洋一のプロフィール                   トップページへもどる

−森田洋一 1段目−   
モード工学代表 森田洋一
1950年東京生まれ。横浜国大工学部卒。
 
1975年、東京都水道局在籍中に、流行ビジネスが感覚的な手法に頼っていることに疑問を持ち、流行予測の研究を始める。
 
まず、スポーツのテクニックの流行から調べはじめ、教育方法、デザインと対象を広げる。わかったことをトレンド情報誌月刊モードロジーに発表。
 
1982年に、乗用車のデザイン史の研究に参加、大手自動車メーカーのデザイン室に、調査方法や分析方法について助言をする。研究成果を実際の車に適用、結果2車種がヒットする。
   
ファッション予測は理系の仕事  1983年より、流行予測の研究所に所属、メーカー、卸、小売店など幅広い業種において講演やコンサルティングをはじめる。この時期に流行予測における独自の理論を確立。
 
1987年独立、ファッション販売、トレンドセッター、インテリジェンス+1などの専門誌に研究成果と流行予測を順次発表している。
 
著書には、理詰めのトレンド予測(秀和システム)がある。これまでに市場の動きについて真剣に考えたことのある人、流行について本気で悩んだことのある人には絶大な支持をいただいている。
 
   
■実績
・ ファッション業界誌に、売れるデザインを定期的に発表、一番の人気ページになる。また、次に人気となる業態とデザイン傾向を10年先まで予測。これまでのところは的中。
 
・ 繊維業界紙で、業界の現状認識の誤りを指摘、次を予測。的中させる。
 
・ トレンド情報誌の連載や講演で、売れる商品傾向、売れるデザイン、売れる価格帯、売れるタイミング、売れる期間、売れるブランド、売れる業態、大当たりのビジネスモデルなどを予測発表。どれも的中させる。
 
・ 小売り業界誌に、デザインや売れる接客などの変化を定期的に予測発表、的中させる。
 
 
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−森田洋一 2段目−
・ スポーツ用品メーカーが、当研究所の助言を入れてメインブランドのデザインを修正。売り上げ5割増を達成。
 
・ ニッターが、形態安定加工商品の大量投入を計画する。当研究所が形態安定加工の大洪水と価格暴落を予測。企画の大修正を行い成功する。また、海外生産について、店頭実需の変化の予測をもとに、進出のタイミングを遅らせるように助言。以後、業界が予測通りに変化する。
 
・ 新製品のヒットがなく、伸び悩んでいた食品メーカーに、次回投入予定の菓子の味や形状について助言。的中ヒットさせる。
 
・ 街はずれにあるレディスショップに色彩理論による品揃えの変更を助言。売り上げを2倍にする。さらに、素材やシルエット、柄、ディティールなど、扱っている商品のデザイン全体についても助言。結果、
   
地域一番点となる。
 
・ 企画力に弱点を持っていた大手小物メーカーに新色を提案。採用したブランドで爆発的なヒットをする。
 
・ 商社の、単価下落に苦しんでいたアパレル部門に、誰も気がついていない超ヒットカラーを伝授。専門店向けレディスヤングで採用される。結果、他事業部でも知らないものがいないほどの超ヒットカラーとなる。また、冬物コートで、仮需段階から受け入れられ、店頭でもヒットする色、柄、シルエット、素材について具体的に助言。大量に備蓄したが瞬時に売れる。
 
・ 繊維問屋から、自社リスクのレーヨン系素材の潰し方について相談を受ける。色、アイテムなどについて助言、定番として大量販売に成功。ポリエステルについても相談を受け、それぞれの生地の価格変動を予測。備蓄しておくべき生地について助言する。それをもとに在庫調整。リスク回避に成功。
   
また、備蓄カットソーに付けるオリジナル柄と色について助言。記録的大ヒットになる。
 
・ 数値データーにより、ユニフォームのカタログ販売と一般ウエアの店頭販売との時差を割り出す。それをもとに、大量の持ち越し在庫に苦しんでいたユニフォームメーカーに、市場の変化とその対策についてコンサルティング。新製品のデザインについて、仮需段階からヒットするように具体的な修正事項を指摘、3年ぶりに黒字化させる。
 
・ 既存商品の落ち込みに苦慮していたメンズカジュアルメーカーに定番物のエリの形状変更と新色を提案。奇跡的復活に成功。また、ポロシャツの大暴落を予測。その対策を進言。理論をもとに旧素材を新素材として復活させ。ピーク時には40万枚を販売。
 
・ ヤングメンズアパレルに、次シーズンに売れるウエアをコンサルティング。的中させる。
…など他多数。
 
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−森田洋一 3段目−
上の経歴にあるように、若い頃の私は公務員でした。漏水防止の研究などをやっていまして、流行予測に関しては全くのシロウトでした。いまから思えば、シロウトだったからやれたのだと思います。はじめる前は、流行のカラクリを知るということがどんなに大変なことなのか、まるでわかっていませんでしたから。
 
スタートは25歳の時です。当時読んだ月刊現代にこういう話が載っていました。
 
江戸時代の流行は、歌舞伎役者や遊女から始まったものがたくさんある。だったら、歌舞伎役者に身につけさせれば人工的に流行が作れるのではないかと考えた商人がいて、大金を使って人気者に着てもらった。でも、まったく売れない。人気役者は流行を作ることができなかった。
 
この話の教訓は、流行は流行だけの理由で流行るので、その原因を他のものに求めてはいけない。他のものは影響を与えるが、流行の原因ではない、…
   
というものです。
 
だったら、流行は他のものとは独立した閉じた体系として考えられる。閉じた体系なら、自然科学と同じレベルの理論を構築できるはずだと私は考えました。なんだ簡単じゃない。
 
でも、実際にやってみたら大変でした。循環要因の種類についてはほとんど間違えなかったのですが、その周期とタイミングを求めるのがやっかいでした。おかげで、仮説の死骸の山ができました。それでも30年かけて、さまざまな検証に耐えられる長命な仮説を増やしていきました。それだけ研究を続けても、流行について全部がわかったわけではありません。現在でもまだまだわからないことがたくさんあります。
 
それでもわかったことに関しては断定できますし、予測を外しません。いまの段階でも、実用的にはかなりのレベルに来ています。
   
トレンド予測において、断定できて外さないことがいくつもあるということは、自分でいうのも何ですがすごいことだと思っています。わからないことが残っていても、それをかなり絞り込むことができますから、大きなハンデをもらってゴルフをしているようなものです。よほどの ドジを踏まない限り、シングルプレーヤーに勝てます。
 
06年7月29日、当ページに転載、8月3日加筆
 
 
            
 
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このページ最終更新 ’06年8月3日、レイアウト変更2014/04/11