ページの表題 流行の参照点が動く              トップページへもどる

−流行予測 1段目−

同じ順列は来ない

だれもが直感的には理解しているように、流行には繰り返しがあります。でも、全く同じことは起こりません。「オレが若いころにしていた格好が、またハヤっている」と年配の方が言うことがありますが、よく見ると全く同じではありません。昔とはどっかしら違っています。
 
全く同じにはならない理由は3つあります。その1つ目は、流行現象と流行要因のあいだに1対1の対応関係がないことです。1つの流行現象には複数の流行要因が関係しています。1つの流行要因は複数の流行現象に働いています。もし、流行現象と流行要因の間に1対1の対応関係があるのなら、
   
流行要因は、ある流行現象に別な名前をつけているだけになります。そんなの、やさしいことを難しく言って相手を煙にまく効果しかありません。私は大嫌いです。そんなことにしか使えないのなら、流行要因なんて考える必要はありません。
 
ある流行現象が起きた時、それと強い関係を持つ流行要因がN個あったとしましょう。その流行が終わって、次ぎにその中の1つの流行要因が復活したとき、ほかの(N−1)個の流行要因が、前回と同じ状態ならば、同じ流行現象が起こりますが、そううまくはいきません。1つの流行現象は、多数の流行要因の順列で記述できますが、そのすべての流行要因が、同じ時期に前回と同じ状態になることはまずありません。ゼロに近い確率です。これが全く同じ流行現象が起こらない理由の1つ目です。
   

タブーが変化する

全く同じ流行が起こらないという理由の2つ目は、タブーやこだわりが長い目でみると変化することにあります。これは、流行が複雑に見える理由、ややこしくみえる理由の4番目の説明でも触れました。
 
以前タブーだったモノコトがタブーでなくなり、以前はタブーでなかったモノコトがタブーになってれば、かりに流行要因でみると全く同じであったとしても、流行現象は違ってきます。女性の社会進出のように、つぎつぎと壊れていくタブーもありますが、放送禁止用語のようにつぎつぎと生まれていくタブーもあります。時代時代によって出っ張るところと引っ込むところが変わるだけで、タブーの総量はそれほど変わりません。そしてタブーの量や種類にも流行があります。
 
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−流行予測 2段目−

遅行参照点

が、そのことを言っていると話が脱線しますので、別な機会に譲ります。同じ流行が起こらない理由の3つ目は、それぞれの流行要因の基準が長い間には変化する、…です。かりに、流行要因が前と全く同じで、タブーも変化していなかったとしても、同じ流行現象が起こるとは限りません。流行要因の各因子が示す具体的なモノコト、物理量が前と完全には一致しないのです。
 
短期的には無視できる変化であることと、狭い意味では流行でないことは、タブーの変化と同じです。でも、制約が動いたと言うよりも、流行要因のゼロ点(原点)が動いたと言うべきことですので、タブーの話とは別にしました。それでこれは、流行がややこしく見える、複雑に見える理由の6番目になります。これからちょっとばかし、このことについて説明しようと思います。
 
   
厳密に言うと流行要因の各因子は変化しません。人間の頭の中では前と同じです。変化しないから、こういう流行の最小単位の存在を仮定して、流行を予測したり説明したりしているんで、これが動いたんでは話がグチャグチャになちゃいます。流行要因の各因子は変化しませんが、それは人間の頭の中の感覚では変化しないと言っているので、具体的な物理量が動かないわけではありません。
 
私の身長は170センチです。私の世代では真ん中へんです。今のヤングを基準にすると低い方でしょう。親の世代の平均で考えると高い方でしょう。江戸時代の常識では、私はノッポだと思います。ノッポがもてる流行がきたとき、私は、昔だったら得をしますが、今だったら損をします。同じ170センチの身長が、時代が違うと結果が逆になってしまいます。ノッポという感覚は、昔も今も変わりませんが、それをセンチメートルという物理量に翻訳したとたんに、完全にはもとにもどれない流行になります。
   

硬さが気持ちいい

最近は見かけなくなりましたが、以前は、浴衣などに糊をかけるということをよくやりました。触ったときの感触を、ゴワゴワバリバリにするためです。なんでそんな手間をかけてゴワゴワにしたのでしょうか。それは、綿の生地が普及して間もないころの日本人にとっては、それまで慣れ親しんだ麻系の生地に比べて綿が柔らかすぎて気持ち悪かったからです。それで糊をつけてちょうどいい硬さにしようとしました。
 
 昔の綿は、今の綿花とは違う品種で、繊維が太くて短いものでした。しかも、糸にするときは手でつむいでいます。今の綿布に比べれば硬かったはずです。でも、昔の人にとっては柔らかすぎる生地でした。硬さの感覚の座標の原点が、今の人よりかなり硬い方にありました。そういう感覚を持っていた人に、今の服を触らせたら、そのやわらかさと気持ち悪さに仰天することでしょう。
 
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−流行予測 3段目−
物理的にみれば同じ生地が、時代によって軟らかい方に入ったり硬い方に入ったりします。同じ硬さの生地が、時代によって、軟らかい方の流行期に売れたり、硬いほうの流行期に売れたりします。
 
現代人である我々は、あごの発達が悪くて、口を閉じたとき、下アゴの前歯が上アゴの前歯より奥に来ます。これをハサミ歯というそうです。縄文時代の日本人は、今の人よりもあごが発達していて、上の前歯と下の前歯がピッタリあったそうです。これを爪切り歯というそうです。他の動物をみても分かりますが、縄文人の爪切り歯のほうがまともで、現代人のハサミ歯のほうが病的です。柔らかい物ばかり食べているからです。顔が変形するほど極端に柔らかい物を食べているのが我々です。
 
私の息子は、乳歯から永久歯に生え変わるとき、歯の間がきつすぎるので、このままでは永久歯がまっすぐ生えてこないからと、乳歯のサイドを削りました。歯医者の厄介にならないと歯もちゃんと
   
生えてこれないほど、アゴが小さいんです。でもまだ息子はましなほうで、狭いアゴに歯がきれいに並ぶようにと、使える歯を抜いてしまう子もいるそうです。縄文時代と比べるまでもなく、1、2世代前と比べても、今の子供はアゴが小さくなっています。それだけ、食べるものが柔らかくなっているということです。

食べる物の硬さ柔らかさの違いが、顔の形が変わってしまうほど大きいわけですから、その感覚も同じように大きく違っているはずです。アゴの大きな子供やヤングが多かった時代と、アゴがヒョロヒョロと尖がっている子供やヤングが多い現在では、硬さの感覚のの基準点が動いているはずです。硬いという感覚、柔らかいという感覚は昔も今もあります。これからだってあります。どちらかよりどちらかを好む流行も、昔も今もこれからもあります。でもそれが、具体的な物になったり、測定値になったりしたときに、昔と全く同じにはなれない流行になります。
   

昔の大型、今小型

今のは硬さの流行でした。つぎは大きさの流行で考えてみましょう。冷蔵庫の大きさは、食品を入れる部分の容量で決まります。単位はリットルです。大型冷蔵庫を具体的に数字で表すと何リットルか知っていますか。110リットルです。110リットル以上が大型冷蔵庫です。
 
ところで、あなたのうちの電気冷蔵庫は何リットルですか。おそらく110リットルじゃありませんよね。それよりはるかに大きいはずです。110リットルは大型だという基準で言うと、あなたのうちの冷蔵庫は超特別大型冷蔵庫ですね。でもあなたは、超特別大型冷蔵庫だとは思っていませんね。それと、110リットルあるいはそれより少し大きい冷蔵庫を見たとき、大型だと感じませんね。でも、昔は大きい冷蔵庫だったんですよ。私が子供のころの60年代は、電気冷蔵庫といえば、ワンドアで100リットル以下がほとんどだったんですから、以前の感覚では
 
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−流行予測 4段目−
冷蔵庫はどこから大型?大型だと言われても納得がいく数字なんです。それが、大型冷蔵庫のブームを何回も経験しているうちに、どのへんから大きいのか、どのへんから小さいのかの、みんなの判断基準が動いてしまったんです。大型小型の正式な定義は、そうちょくちょく変えるわけにはいきませんので、今の人からみると、「大型冷蔵庫」がずいぶん小さくなってしまいました。それで、昔だったら「大型」が流行しているときに売れた大きさが、最近の「大型」ブームでは売れない大きさになってしまったんです。大小の感覚は昔も今もあります。これからだって変わりなくあります。それが、リットルという具体的な物理量になると、前とは違う流行になってしまうんです。
   

今のエレガンスは昔のカジュアル

長期間でみると判断基準のゼロ点が動いてしまうのは、物理量だけではありません。
 
私の娘が音楽会に出たときに、着ていく服の指定がありました。白いブラウスに黒いスカートです。色物のTシャツなんかはとんでもない…なんだって。音楽会の主催者にとっては、Tシャツではくだけすぎる、カジュアルすぎるということでしょう。ということは、ブラウスはエレガンスです。Tシャツよりエレガンスに寄っています。そう思っているのは、音楽会の主催者だけではありません。いろいろな催し物の規定や暗黙の了解事項をみても、シャツブラウスはエレガンスの扱いを受けています。数年前の神戸コンサバエレガンスの流行でも、シャツブラウスが人気でした。シャツブラウスはエレガンスの象徴でした。
 
でもね、シャツブラウスは、もともとはメンズの
   
下着です。メンズの下着を、若い女性が着るのですから、それも上に着るのですから、こりゃどう見たってカジュアルです。現に、おなじようにメンズの下着出身のTシャツはカジュアルです。
 
じゃぁ、出自はTシャツとほとんど違わないシャツブラウスがなんでエレガンスあつかいなのさ。Tシャツとどこが違うのさ。時間です。歴史の古さです。シャツブラウスも、女性のアウターとして着られるようになって間もないころは、いまのTシャツ同様にカジュアルでした。カジュアルの流行期に着られました。それが、長い年月のうちに、そのポジションがジリジリとエレガンスの方へ移っていきました。いまでは、エレガンスのときの方が売りやすい商品に変わりました。
 
Tシャツは今でもカジュアルですが、私がヤングだったころに比べると、かなり、エレガンスの方にずれてきています。NHKの女子アナが着ている服を見てください。ジャケットの下から見えますね。
 
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−流行予測 5段目−
すました顔でニュースを読んでますけど、あれTシャツですよ。Tシャツといっても、ジーンズショップのTシャツとはちょっと違ってエレガンスに見えるデザインですが、でも丸首のカットソーよ。これから、年月がさらにたてば、Tシャツはもっとエレガンスに寄っていって、ついにはエレガンスの流行期の方が売りやすい商品になるでしょう。
 
エレガンス(正確には束縛)の流行は、過去に何回も何回もくりかえし起こっていて、これからもくりかえしくりかえし起こるんですが、同じ商品だからといって、同じくらいのエレガンス度に評価されるわけではありません。長い間には逆になってしまいます。その例としてシャツブラウスをあげました。でも、こういうことが起こっているのはシャツブラウスだけではありません。
 
私の息子は身ナリにはわりと無頓着で、寝癖で頭が鉄腕アトムや遊戯王みたいになっていても平気です。 着るもののえり好みもあまり無いんです
   
が、でも着たがらないものはやはりあって、セーターはせっかく買ってやっても着ないで、トレーナーばっかり着ると、カミさんが言います。セーターは改まりすぎて、しゃっちょこばっている感じがしていやなんだそうです。でも、セーターはスエット・アーですから、汗をかくときに着るものという意味です。50歳代の私がまだヤングだったころは、セーターをカジュアルウエアだと思って喜んで着ていましたし、今でも、どちらかというとカジュアルウエアだと思っているんですが、小学校6年生の息子からみれば、すでにエレガンスウエアになってしまっているようです。やはリ、じりじりと少しずつエレガンスアイテムの方に移動しています。
 
時間がたつとエレガンスになるのは、他のアイテムでも同じです。着物はエレガンスです。今の私たちにとってはそうです。でも200年前の人にとっては普段着です。その前は、狩衣と言われていましたから、スポーツウエアです。平安時代までさかのぼれば下着です。
   
 
燕尾服は今では、エレガンスを通り越して、大臣になったときとか天皇に会うとき、ノーベル賞をもらうときぐらいしか着る機会がありませんが、歴史をさかのぼれば乗馬服です。前が短くなっていて、後ろに切れ込みが入っていますが、それは、馬にまたがったときにスソがじゃまにならないようにするためです。今の流行を考えても分かるように、スポーツウエアを他の用途で着るのはカジュアルです。他の用途で着るようになったばっかりのころはカジュアルウエアだったんです。
 
私が小さいころ、うちの父は家族と外へ出かけるときいつもスーツでした。遊園地もデパートもスーツです。当時の父にとってのスーツは、今のアダルトにとってのスーツより、もっとカジュアルウエアに寄っていました。
 
昔へさかのぼれば、スーツがなかった時代があります。次ぎにカジュアルウエアだった時代があり
 
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−流行予測 6段目−
ます。昔のスキーヤーの写真を見ると、スーツを着て、ゲートルを巻いて滑っています。逆に未来を考えれば、冠婚葬祭でしか着られない特殊な服にスーツはなるでしょう。その兆候はすでに出ていますね。そのさらに先は、博物館でしか見られない服です。そこまでいくのはズーっと先の話ですが。同じ服が、時代によって、カジュアルの象徴になったり、エレガンスの象徴になったりします。でも、エレガンスという感覚は、昔も今もありますし、これからだってあります。
 
流行要因のそれぞれの因子は、昔も今もこれからも変わりませんが、それは我々の頭のなかの整理棚の分類基準では変わらない、感覚では変わらないということで、具体的なモノや物理量になったときは動きうるということです。動きうるといっても、歴史を論ずるほどの長い時間スパンでは変わるということで、短期では変化を無視しても問題ありません。つまり、今のビジネスが、子供や孫の代になったときにどうなっているだろうなんてことを考えるとき
   
には必要ですが、今年どうしよう来年どうしようなんていう次元では関係ありません。それで、流行が複雑に見える理由、ややこしく見える理由では、一番最後にもって来ました。
 
                 モード工学代表 森田洋一
 
(^^♪(^^♪(^^♪ ちょっと脱線 (^^♪(^^♪(^^♪
森田洋一です。
このごろうちの近所の駅の周りに花屋が増えました。この5〜6年で6店舗もできています。店が増えたからといって、何倍もは買わないよね。

 
1つとなりの駅には総菜屋が数年で、こちらの駅の花屋と同じくらいの数できました。それも、駅の
   
片側だけでです。初めに進出したところが大当たりを取って、その成功が素人目にも分かるほどだったもんですから、バタバタとできました。当然競争が厳しくて、上品になんかやってられないと、店の外の道にテーブルを出して、売り込みに声をからしています。総菜屋だけでみると、商店街がアメ横みたいになっちゃいました。
 
私が付き合っているレディスショップなんですが、服といえばジーンズショップしかない街に出店したところ、たちどころに同業者が何店も出てきました。同業者が多い場所のほうが、そうでない場所より出店の不安が少ないということでしょう。実際の危険は大きいのにね。これって、バブルの構造に似ていますねぇ。
(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪(^^♪
 
 
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このページ更新‘04年9月16日、レイアウト更新13年12月4日
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