第6章 [エレガンス]と[カジュアル]もしくは[束縛]と[自由]
2 流行の中間期はさじ加減が微妙
ファッションには、やりすぎてはいけない時期があります。
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私たちは常に自由を求めている
わけではない 関西ショップの東京進出の話で、「エレガンス」と「カジュアル」というコトバが出てきましたが、この2つは循環要因です。互いに替わりばんこに流行しています。〔エレガンス・カジュアル〕の周期は約12年です。ただし、エレガンス全盛からいきなりカジュアル全盛になるわけではなくて、その中間の時期があります。イソップ物語に出てくるコウモリみたいなどっち付かずの期間を間にはさんで逆へ行きます。 つまり、「エレガンス」→「中間」→「カジュアル」→「中間」→「エレガンス」→「中間」→「カジュアル」→「中間」……、と変化します。それぞれの期間は3年ずつで、1周するのに4つのステップを通りま |
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これまでは「カジュアル」でした。現在、若い人ではすでに、その次のタイミングに移っています。もっと具体的にいうと、「若い人では2002年から04年までがカジュアル」「2005年から07年までが、カジュアルとエレガンスの中間」です。 消費者の年齢が上がるとこれよりタイミングが遅くなります。同じ年齢を比べると、男性は女性より5カ月弱遅れます。つまり、性別年齢が違うと、流行の具体的時期も違ってきます。これは他の循環要因でも同じです。 ファッションの移り変わりを例に、この循環をさらにくわしく説明します。もちろん、懐古趣味で昔のフ |
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「若い人で1978年から80年まではカジュアル」でした。 ここでいう「1978年から80年まではカジュアル」とは循環要因の活性期の話です。つまり、消費者にとって魅力的かどうかで判定した場合の、あるいは、流行を起こす原因をもとに判定した場合の時期です。 あなたの思い出や過去の記録に残っているファッションは、原因ではなくて、起こった結果の流行現象ですから、これから説明するさまざまな事例はもっと遅い時期だったはずだとあなたは思うかも知れません。つまり、流行期を、これから話す |
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時期より1年あるいは2年ぐらい遅らせたほうがピッタリ合っているように感じる*1かも知れません。 このときの「カジュアル」の活性期では、ハイティーンの市場が急成長しました。奇抜な格好の「竹の子族」が歩行者天国で踊り、それをマスコミがはやしていたのがこの時期です。スーツ姿があたりまえだった漫才で、島田紳助が暴走族のレーシング服を着て、視聴者の度肝を抜いたのもこの活性期です。 この時期はDC(デザイナー・キャラクター)ブランドもカジュアルウエアを扱っていました。「プアルック」、「ボロルック」が流行しました。 デザイナーの川久保玲や山本耀司がパリコレに進出して欧州の人たちにショックを与えたのは、この少し後*2の1982年です。カジュアルの時期はデザインの自由度が上がるし、新しい挑戦を消費者が支持するので、日本のファッションが世界の最先端を行くようになります。 当時はアメカジが売れていました。ダウンウエアが街にあふれました。「ボートハウス」のトレーナー欲しさに、長い行列ができました。当時すでにエレガンスアイテムになっていたメンズスーツ*3が大苦戦しました。 |
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この次の時期、「若い人で1981年から83年までは、カジュアルとエレガンスの中間」でした。この「1981年から83年まで」というのも、流行の原因で判定した場合の時期です。 「カジュアルとエレガンスの中間」であったこの時期がDC(デザイナー・キャラクター)ブランドの全盛期です。それで、DCブランドのブームは、カジュアルウエアでスタートし、時間の経過とともに、表現やアイテムがエレガンスに移っていきました。 「ジュンコシマダ」がセクシーな大人服を大ヒットさせたのが1982年でした。セクシーは女らしくということですから、考え方はエレガンスです。その手段はエッチっぽくということで、表現はカジュアルになります。 ティーンズは、かわいらしさを強調した重ね着ルックの「オリーブ少女*4」が増えました。 次の「若い人で1984年から86年まではエレガンス」でした。「ジュンコシマダ」の成長も続きました。当時のDCブランドは重衣料のエレガンスが中心でした。 当時「ピンキー&ダイアン」がヒットしていて、「ワンレングス、ボディコン」の「お嬢様風」がブームになりました。お金のあるアダルトは、 |
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テーラードスーツの達人と言われたジョルジオ・アルマーニに夢中で、これを「アルマーニ現象」といいました。 この次の時期、「若い人で1987年から89年まではエレガンスとカジュアルの中間」です。この時はちょうど「渋カジ」「キレカジ」が流行したタイミングです。ポロシャツやストライプシャツ、モカシン、インポートジーンズ、ヴィトンのバッグなどできれいにドレスアップしたカジュアルが流行しました。 「紺ブレ」の流行もこのときです。上半身は金ボタン紺ブレザーのトラッドアイテム、下半身はジーンズにウエスタンブーツのカジュアルアイテムと上下でバラバラ*5なファッションでした。当時、若い子に洋服ぽい柄の「DCユカタ」が大流行しました。ユカタは昔のカジュアルウエアです。でも、着物は現在の女性にとってエレガンスです。DCユカタはエレガンスの中のカジュアルですから中間の時期にヒットしました。 また、この時期には、ポロ・ラルフローレン、Jプレス、ブルックスブラザーズの御三家が活躍しました。どれもエレガンスとカジュアルの中間デザインが得意でした。「同一視」の活性期と重なりましたので、御三家フアンは、みんな |
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同じカッコウをしていました。
この次の時期、「若い人で1990年から92年まではカジュアル」です。 この頃はストリートファッションが全盛でした。「ヒップホップ」など、黒人ファッションが人気になりました。茶髪が増え、古着が流行しました。男らしさ女らしさの規範が揺らぎました。フェミ男とかカマ男とか呼ばれる、女物のTシャツを着た男の子が出現しました。OLが通勤着に重衣料を着なくなりました。 ユニクロ(ファーストリティリング)、ライトオン、マックハウス、コックスなどのカジュアル店の急成長が始まりました。当時はバブル崩壊直後でしたが、時流に乗っている店やブランドは元気いっぱいでした。スーツがメインの郊外型紳士服店が苦戦するようになり、オーバーストア*6が問題になりました。 「カジュアル」の活性期には、デザインの自由度が上がり、新しいデザインを消費者が支持します。 そこで、日本のデザインが世界をリードするようになります。それは、特にカジュアルウエアではっきりします。そのことに気づいた、欧州のファッション関係者が日本に視察に来ます。日本のストリートファッションのコピーが、欧州のコレクションに |
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出てくるようになります。そして、これは、消費者の流行ではなくて供給側の流行ですから、この時期が終わった後もしばらく続きます。
当時の日本のアパレルメーカーは、「前年に自分のところでさんざん売ったウエアと同じデザインが、今年の欧州コレクションで脚光を浴びている」とびっくりしていました。 この次の時期、「若い人で1993年から95年まではカジュアルとエレガンスの中間」です。当時、「ニューヨークキャリアブランド」が人気になりました。本国では重衣料中心でしたが、日本では軽衣料*7が売れました。つまり、エレガンスっぽいカジュアルです。 このときブレークしたのが、ファッションビル渋谷109を中心とする「セクシーカジュアル」です。この流行はエスカレートして最後には「ガングロのヤマンバギャル」まで行きました。セクシーというのは女らしさを強調するわけですから、「女は女らしく、その分を守って」ということで、秩序を重んじるエレガンスです。ただ、女らしさにもいろいろあるわけです。女らしさの表現の仕方が、エッチにエロっぽくということですから、この点ではカジュアルです。それで、セクシーファッションは「カジュアルとエレガンスの中間」で売れます。 |
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女子高生の間では、制服というエレガンスウエアをカジュアルに着崩す流行がありました。「バーバリーのマフラー」や「ルーズソックス」、「ラムVセーター」が人気でした。同一視の活性期と重なったので、女子高生はみんな同じ格好になりました。
若い男性向けの店では、ビームスが当たっていました。都会的できれいにドレスアップしたカジュアルが人気でした。ヨーロッパのデザイナーズブランドが売れました。こういうファッションを「モード系」と呼んでいました。 この次の時期、「若い人で1996年から98年まではエレガンス」です。 このとき最初に注目されたショップが「エゴイスト」でした。セクシーカジュアルの渋谷109系にしては大人っぽいデザインでした。セクシーカジュアルが沈没した後にできた市場の空白を「エゴイスト」は埋めました。ただ、エゴイストは109系の許容範囲の中でのエレガンスでしたから、本格的なコンサバエレガンスを求めるようになった消費者にとっては中途半端でした。 エゴイストの次に注目されたのが、さきほどの話に出てきた神戸(コンサバ)エレガンスです。「ビッキー」、「クレイサス」、「Mプルミエ」、「クイーンズコート」、「ルシェルブルー」などの店や売り場に若い女性が殺到しました。 |
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メンズではタイトなシルエットのビスポーク(英国完全注文服)スーツの流行がありました。 このときも前回のエレガンス同様"老け作り"が流行しました。ハイティーンが20歳代OLのようなファッションを、20歳代OLがヤングミセスのような服を着ました。 一般のレディスファッション店で、リクルートスーツ、フレッシャーズスーツ*8が売れるようになったのがこの時期です。 日本は「エレガンス」だったので、デザインの自由度が落ちました。新しい挑戦は、消費者の支持を得られなくなりました。そのためファッション分野は欧州に遅れをとることが多くなりました。とくにカジュアルが問題でした。 そこで、日本では、欧州のデザイナーファッションやストリートファッションをそのままコピーする人が成功するようになりました。これをやったのは有名デザイナーだけではありません。どの企業でも欧州詣でをひんぱんにする企画パーソンが出世しました。欧州のショップで買ってきたウエアを、そのままコピーして売るのが流行りました。 欧米のショップの内装を、なにからなにまでソックリまねた店が増えました。事情を知らない日本の旅行者が、日本で話題になっているショップに |
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瓜二つの店が外国にあるのでビックリしました。欧州からの直輸入品を扱う人の成功事例が増えま
こういう流行は供給側が主役*9なので、「エレガンス」の活性期が過ぎた後も続きました。 エレガンスの次の時期、つまり「若い人で2000年から02年まではエレガンスとカジュアルの中間」です。このときに売れたのが「東京エレガンス」「エロガンス」「セレブカジュアル」「セクシーカジュアル」などと呼ばれる店やブランドです。どれもカジュアルとエレガンスの中間でした。この時期にスタートし急成長したブランドに、子供っぽくないカジュアルウエアを提案した「マウジー」があります。 それ以前に人気だった神戸(コンサバ)エレガンスが沈んだあと、まず最初に注目されたのが「東京エレガンス」です。要するに、東京エレガンスは、神戸エレガンスよりは相対的にカジュアルに寄っていたため、神戸エレガンスが沈むことによってできた市場の空白を埋めていきました。ただ、カジュアル寄りといっても、あくまでも神戸エレガンスよりはという意味で、やはり同じエレガンス系ブランド*10でしたから、この「エレガンスとカジュアルの中間」の時期に大ブレークとまではいきませんでした。 いまの女性にとって、着物はエレガンスウエアになっていますが、その古着をカジュアルに |
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着崩す流行もありました。
女子高生の間では、制服をカジュアルに着崩す流行がありました。この時期に大当たりを取ったブランドが「イーストボーイ」です。この大当たりで、一時低迷していたイーストボーイは大復活しました。 当時、ハイティーンと同じデザインのカジュアルウエアを、小学校高学年から中学校低学年に売ることで急成長したのが、「ナルミヤインターナショナル」です。ハイティーン向けウエアのこだわりは「カジュアル」です。それをローティーンが着ることは、自分より上の世代のファッションを着る"老け作り"ですから「エレガンス」です。それで、カジュアルとエレガンスをたして2で割ったこの時期に成功しました。 メンズでは、雑誌レオンが火をつけたと言われる、エレガンス服をカジュアルに着崩す「ちょい不良(ワル)オヤジ」の流行がありました。キリギリスの流行とも重なりましたので、ちょいワルオヤジは金ぴかオヤジでもありました。この「ちょいワルオヤジ」の流行は、つぎの「カジュアル」の活性期になると、さらに過激になって、西洋ヤクザの親分みたいになりました。 「ちょい不良(ワル)オヤジ」はエレガンス服をカジュアルに崩しましたが、当時これとは逆に、 |
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カジュアル服をエレガンスにドレスアップ*11する流行もありました。アイロンがけのプレスラインが入ったジーンズ「セブン・フォー・オール・マンカインド」です。日本にデビューしたのは2001年9月で、直後から爆発的にヒットしました。「キリギリス」や「同一視」の流行とも重なったので、2万円近い高値で同じデザインが女性たちにバンバン売れました。ここから始まったプレミアムジーンズの流行は、デザインをよりカジュアル化させることで、次の「カジュアル」の活性期まで延命させることに成功しました。
こういう中間の時期には、エレガンスアイテムとカジュアルアイテムを組み合わせると成功しますが、当時の例では、ジーンズやGジャンにピンヒールのハイヒールを組み合わせるというミスマッチが登場しました。 同じく男向けではこの時期に、上半身がテーラード調ジャケットで下半身がジーンズというスタイルが流行しました。 「セブン・フォー・オール・マンカインド」のようにジーンズをドレスアップして成功した例としては、これよりちょうど2周期前の1970年代後半にヒットした「サッスーン」があります。当時も「エレガンスとカジュアルの中間」期でした。この直後の、 |
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女物を男が身につける「カジュアル」の時期に、私もはきましたが、シルエットが女物なので体形が合わず、とくにトイレが大変でした。サッスーンとおなじ時期に、「テニスルック」などのエレガンススポーツウエアが流行していました。
ここまで、この循環の各ステップを「エレガンス」「カジュアル」「エレガンスとカジュアルの中間」と呼んで説明してきました。 じつは、厳密に言うと「エレガンス」も「カジュアル」も循環要因のネーミングとしては正確ではありません。正しくはそれぞれ「束縛」「自由」と言います。ただ、ファッション分野に限定すると、「束縛」より「エレガンス」の方が、「自由」より「カジュアル」のほうが分かりやすいので私も好んで使っています。ただ、これだと概念に少しずれが生じます。 たとえば、アメカジ(アメリカンカジュアル)大好きアダルトのなかには、シルエットはこうでなくちゃいけない、着こなしはああでなくちゃいけない、素材はそうでなくちゃいけないと、やたらこだわっている人がいます。そういうふうにこだわるのもアメカジかもしれませんが、自由ではありませんね。「自由」だったら「何でもあり」です。「でなくちゃいけない」は束縛の流行の方です。 「束縛」という循環要因を象徴するキーワード |
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としては「エレガンス」、「でなくちゃいけない」のほかに、「ドレスアップ」、「トラッド」、「きれい」、「正統派」、「権威主義」、「形式ばる」、「ちゃんとしている」「偽善的」などがあります。「自由」という循環要因を象徴するキーワードとしては「カジュアル」、「何でもあり」のほかに、「オキテ破り」、「非常識」、「無礼講」、「ドレスダウン」、「きたない」、「崩れている」「偽悪的」などがあります。
様々な流行現象に、これらのキーワードを当てはめてみることで、「自由」と「束縛」のどちらの活性期に有利になるかが判定できます。 〔カジュアル・エレガンス〕の循環周期は約12年ですから、カジュアル度、エレガンス度でみると、現在と12年前、現在と24年前は同じです。あなたが新ブランドの開発担当なら、2006年にデビューさせるものは、1982年と1994年の成功事例を参考にしてください。2007年に出すのなら、1983年と1995年の成功事例です。 (続く) 08/5/22転載 |
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−トレンド予測 133段目− | ||||||||
*1 ……ように感じる
市場規模は、その商品が止まる前なら、実需ではなくて仮需で決まる。 *2 少し後 つまり、日本のカジュアルがその前にすでに評価されていたということ。 *3 メンズスーツ メンズスーツは、昔からエレガンスアイテムだったのではない。カジュアルウエアだった時代もある。 *4 オリーブ少女 ティーンはカジュアルファッションが基本なので、ブリッコをするとエレガンスまで行かず中間となる。 *5 上下でバラバラ 当時、こういうミスマッチな着方をしていた筆者を見て、こちこちエレガンスが好みの友だちは「許せない」と怒っていた。 *6 オーバーストア 商圏人口に対して店舗の数が過剰となること。 *7 軽衣料 この流行は日米間でズレがある。 *8 フレッシャーズスーツ 新入社員用スーツ。本当に新入社員だったのかは店も知らない。 |
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*9 供給側が主役 供給側の流行と消費者側の流行を区別しないと訳がわからなくなる。 *10 エレガンス系ブランド 東京エレガンスはデザインが「シャープ」であった。つまり、循環要因の「直」も関係している。 *11 ドレスアップ 正装すること。あらたまった服を着ること。 【関連ページ】 百貨店婦人コートが活況 振るわぬジーンズ 「理詰めのトレンド予測 ウエブ版」1段目へ トップページへ |
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目次 0 /
第1章 流行の原因には「特定要因」と「循環要因」の2つがある 1-1 / 1-2 / 1-3 / 1-4 / 第2章 「曲」と「直」で流行が変る 2-1 / 2-2 / 2-3 / 2-4 / 2-5 / 2-6 第3章 デザインの流行は「上比長」「下比長」に分かれる 3-1 / 3-2 / 3-3 / 3-4 / 3-5 / 3-6 / 3-7 第4章 「同一視」と「対立視」を知って流行を読む 4-1 / 4-2 / 4-3 / 4-4 / 4-5 / 4-6 第5章 「アリ型人間」と「キリギリス型人間」は交互に現れる 5-1 / 5-2 / 5-3 / 5-4 / 5-5 第6章 「エレガンス」と「カジュアル」もしくは「束縛」と「自由」 6-1 / 6-2 / 6-3 / 6-4 / 6-5 / 6-6 / 6-7 / 6-8 第7章なぜ、まったく同じ流行が起きないのか(3つの理由) 7-1 / 7-2 / 7-3 / 7-4 ページ最終更新12/12/08 |
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