第4章 [同一視]と[対立視]を知って流行を読む
4 ファッション産業史にも循環がある
金もコネもないが、才能と野心だけはある若者が成功するのは、対立視の活性期です。
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そして今もすでに次の対立視なので、若者が店を持つ流行が起こっています。 「設立1〜2年で急激に売り上げを伸ばすブランドが目立つ。その代表ともいえるのが『wjk』と『ファクトタム』。有力 |
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ブランドのスタッフから独立した企業組で、売り上げ規模は4億円前後と見られている。いずれも、シンプルなラインとこだわった部分の両面を持つブランドだ。 wjkは05年春夏にスタート。わずか1年で東京、大阪、名古屋、静岡に4店の直営店をオープン、卸も約60店と目覚ましい伸びを見せている。イタリアの『カルペディウム』で働き、帰国後、その代理人だった橋本淳が手がけるブランドだ。 『普通にやってるけれど、すき間産業だと思います』と橋本。『シンプルであわせやすいアイテムだが他とは違うフィッティング、単品で男心をくすぐる素材やディテールがちょこっと入っている』。そこにビジネスのすき間があるという。」(繊研新聞2005年12月2日14面「メンズ市場の断面」 |
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より) この流行は、成功組みが増えるにつれて加速度がつき、いつもと同じようにバブル化していくことでしょう。 「いつもと同じように」というのは、こういう独立心が強く自己主張がはっきりしていて、素人くさい若者たちが活躍した時期は、ファッション業界ではこれまでに何回もあったからです。つまり、若者の活躍も循環しているのです。 たとえば今から5周期前の対立視のとき、つまり19960年代末から1970年前後に急成長した企業に「マンションメーカー*1」があります。初期のマンションメーカーは、1990年代末の新興ショップや新興メーカーと同様に、自己主張が強く、客を選び、それに共感してくれる少数の人だけを |
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相手にしていました。 次に同一視がやってきて、渋谷パルコのようなファッションビルブーム、ベネトンブーム、ポロシャツブームなどのマストレンド追随時代になると、個性は評価されなくなり、マンションメーカーは変質を余儀なくされました。それができないところは消えていきました。 その次の対立視のときに活躍したのがDC(デザイナー・キャラクター)ブランドのブームです。このDCブランドのブーム*2は大型で、1980年ごろの中休みをはさんで4周期前と3周期前の2回の対立視にまたがって活躍しました。前半はデザイナーブランドが主役、後半はキャラクターブランドが主役でした。これも、渋カジなどのマスファッションの時代になると、変質と衰退が起こりましたが、初期のころは自己主張が強くて、マス市場を追わない、既存ビジネスの破壊者でした。 この時代の前半に当たる4周期前の対立視の活性期に、つまり1976年前後に店がぽつぽつでき始めたのが、JR |
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中心街は移動する
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原宿駅竹下口から明治通りまで伸びた竹下通りです。それまでは、地元の人以外は通らないただの生活道路でしたが、「私だけが知っている、ナイショの店」を求める客が、その新しい店を見つけて通うようになりました。 次に同一視に戻った時、竹下通りは、「みんなが知らない私だけの店」を求める人から、「みんなが行くから、私も行く」という人に来街者が替わりました。人気ショップが入れ替わり、人通りが増えました。 その次の対立視の活性期に若者向けの店がぽつぽつでき、同一視に戻った時に若者の街になったのが渋谷のセンター街です。それ以前は、若い子が近づくのを怖がるような場所でした。 同じころに大阪で、素人くさい若者が店を出し、それを目当てに若者が集まるようになり、来街者が増えて、人気ショップが入れ替わった街が「アメリカ村」です。それ以前のアメリカ村は、心斎橋筋の店の倉庫があったようなところで、地元の人しか通らない場所でした。 |
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DCブランドブームの次に来た2周期前の対立視の時に、つまり、バブル崩壊前後に活躍したのが、「好きなものだけ作りたい。好きな人にだけ買って欲しい」と言っていた、会社組織を持たないインディーズと、品ぞろえや店に強いこだわりを持つインポート・セレクトショップです。やはり、素人の時代、自己主張の時代でした。 この時期に店がぽつぽつでき始めたのが、明治通りをはさんでラフォーレ原宿の向かい側に広がる「裏原宿」です。それまでは、地元の人以外は通らないさびしい場所でしたが、「私だけが知っている、ナイショの店」を求める客が、それを見つけて通うようになりました。 この対立視の時期に活躍したインディーズやインポートセレクトショップも、同一視の時期に戻り、同質化の塊のような平成ブランドブーム*3や、すぐにパクって安く出す日本型SPA*4(製造小売り)が活躍するようになると、変質と淘汰の時代を迎えました。 そして裏原宿も、「みんなが |
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知らない私だけの店」を求める人から、「みんなが行くから、私も行く」という人が行き来するようになりました。人気ショップが入れ替わり、人通りが増えました。 次に、セレクトショップの復活と増殖が起こり、新興ヤング向けアパレルメーカーが活躍した、前回の対立視の時期が来ました。そしてこの新参者たちも、市場が同一視にもどり、消費者が「違っている」ことに金を払わなくなると、一部を除いて没落しました。 「▽新興メーカーの中で事業の見直し、再構築が進んでいる。 ▽ブランドを絞り込んで人材を集中するケース、固定費を下げるため事務所を移転したり、ショップを閉店する例も目立つ。東京・原宿のカジュアルショップはオープンから3カ月で路面店を閉めた。アパレルからの撤退を検討中の企業、すでに会社解散を決意して取引先に通知を郵送した会社もある。人口減、小遣い減が響くヤング市場で動きが激しい。」(繊研新聞2003年12月18日8面「窓」より) この時期の若い女性は、セレブ(有名人)ブーム、読者モデル*5ブームがあった |
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のをみても分かるように他人と同じ物が買いたい、他人と同じ物を身につけたいと思っていました。さまざまなブランドがファッション雑誌とタイアップして売り上げを急増させました。デザインなんか他社のパクリでいいから、それより、たくさん売れているブランドだというイメージを演出しろという時期でした。みんなが買っている物を私も欲しいという人がそれだけたくさんいました。 そして現在です。やはり対立視ですからセレクトショップが人気です。 もっともこのごろのファッション業界では、セレクトショップというコトバの意味があいまい*6になっています。もともとは、さまざまなブランドから自分のセンスと好みで「セレクト」して仕入れて売る、オーナーの主張を前面に出した個性的なショップのことでした。でもこのごろは、セレクトショップというネーミングがカッコイイというので、本来の定義から外れたセレクトショップが増えました。今の定義は「セレクトショップと自ら名のる店がセレクトショップだ」というものです。 そこで、他の業界*7で活躍する、本来の |
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定義どおりの「セレクトショップ」をみてみましょう。 「小さいながらも、独特な品ぞろえや、こだわりで存在感を示す書店が増えてきた。大型書店やネット書店の隆盛、出版不況が言われるなか、店主の個性やセンスを発揮した書籍のセレクトショップ。空間演出にも凝りファンを集めている。」(日本経済新聞2006年1月21日付s11面より) 「『店はいわば私の作品。私の個性、才能を買ってもらっているんです。私は空気感を売っているようなもの』 ガケ書房(京都市左京区)を経営する山下賢二さん(33)は、出版社、印刷業、古書店、新刊書店での勤務経ての開業だ。店の特徴を尋ねると、こう説明してくれた」(同) もちろん、ファッション分野にも、以前の定義どおりのセレクトショップが出てきています。以下の文は、伊藤忠ファッションシステムの川島蓉子さんのレポートです。 「ひっそりとした看板、住宅地や路地裏の立地、まるで誰かの家に招かれたようなくつろぎの空間の演出。隠れ家的な雰囲気を持つセレクトショップが登場し始めた。一人 |
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一人の客に応じた接客に力を入れ、ブランドや店主の世界観を丁寧に伝える。店舗の増加で"大衆化"したセレクトショップの中にあって、違いを打ち出すひとつの手段として注目されそうだ」(日本経済新聞2006年1月21日付s11面より) さて、今勃興しつつあるショップやメーカーの特徴とこれからの運命を、対立視の時期に活躍したこれまでの人たちとの共通点から予測してみましょう。 まず特徴から。 第1に、若者が中心である。したがって、できたてほやほやというところが多い。新しいから、古いファッション業界の常識に染まっていない。というより知らない。 第2に、自己主張がはっきりしている。市場の動向より自分の考えや感性が優先で、その実現のために一心不乱に努力する。 第3に、マスを追わない。客も取引先も自分に共感し賛成してくれる人だけでいいと、自分の方から逆選別する。 |
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その結果、成長志向が弱くなる。 こういうシロートくさい人たちの考え方や行動は、既存のプロたちにはなかなかマネができません。それで、他人と同じことはしたくない、他人と同じものは欲しくないという人が増える対立視の活性期になると、市場に真空が生まれます。この、既存のプロが参入してこない大きく広がった空間を、半分シロートの若者が自由に泳ぎまわります。次に、そうした「若造」の成功事例が増えていき、数が臨界点を越えた時点でバブル化します。仮需転がしが起こり、そのバブルにみんなが酔います。でもそのころには、消費者は同一視に戻ってしまっています。 「物は作れる。が、営業も生産管理もMD(マーチャンダイザー)もプレスもいない。そんな一人アパレル≠含め、企業体を成す以前にブランドを立ち上げるケースが増え続けている。販路は大概、セレクトショップだ。面白い物さえ作れれば、常に目新しいものを探しているセレクトショップが扱ってくれる。 |
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成功も失敗もすでに経験ずみ |
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新規参入時には多くが企業体以前≠セが、ファッションビジネスで素人であることはむしろ強みだ。業界の常識に染まっていない方が新鮮な発想で作れ、一人の感性で作った方が濃い商品になる。出来立てほやほやのブランドを奪い合う青田買いも過熱している。」(繊研新聞2002年2月18日1面「共生新ステージ」より) これは、前回の対立視が作ったバブルの話です。当時の消費者はとっくに同一視になっていました。当然のことながら、バブルはこの直後にはじけました。 苦戦が始まった時の、新興アパレルメーカー*8や新興ショップあるいは新興店持ちアパレルの「新時代」への適応は毎回ほとんど同じです。 自社の個性を価格に転化できなくなりますから、店や商品のニオイを薄めてこなれた価格にし、ロット(生産量)の大きさを追求するようになります。その量をさばくため卸先を増やし、 タイムリーな物作りや在庫処分などの仕組み作りに熱中するようになります。デザインも |
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自分たちの好みを優先できなくなり、ストリートファッション*9や他店のコピーが増えてきます。 こういう改革≠ノ成功した生き残り組の中から、次の中堅アパレルメーカー、中堅ショップチェーンが生まれます。こういう試練を何回も乗り越えて大きくなったのが「ファイブフォックス」や「ビームス」です。 商業ビルは、「同一視」の活性期にオープンすると、成功の確率が上がります。消費者が他人と同じものを欲しがって、利便性など、商品そのもの以外の部分を評価する同一視には、店や商品の集積がプラスに働くからです。小売店が商業ビルに入るのもこのタイミングがベストです。 対立視のときに、寂れた道や、ビルの地下などに個店を出して、その隠れ家風演出で成功したショップが、同一視になってしばらくするとファッションビルに入りたがるようになります。それは、同一視の時は、不便な単独路面店より、店どうしで商品が互いに競合、干渉している、ビルのインショップのほうを消費者が支持するからです。 東京・渋谷パルコがオープンしたのが |
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1973年6月です。直近の同一視から数えて4周期前の同一視の活性期です。渋谷パルコは、ファッション史の時代区分に使われるほどの大ヒットを飛ばしました。パルコの前の区役所通りは、「公園通り」と呼ばれるようになり、渋谷の街のメインストリートに昇格しました。 ところが、しばらくして対立視に替わると、渋谷パルコの人気に陰りが出て「バーゲンのパルコ」と呼ばれるようになりました。 ラフォーレ原宿がオープンしたのが1978年10月です。このときは対立視の活性期でした。ラフォーレ原宿は惨敗で、オープン初日に1個も売れない店があったというウワサが流れました。ほとんど同時期に、池袋サンシャインアルパがオープンしましたが、やはり採算レベルよりかなり下でした。 ラフォーレ原宿は、地元のマンションメーカーなどの小規模な店を入れ、ビルの性格を対立視にシフトさせて成功しました。今でも、ラフォーレ原宿は、ほかの商業ビルと比べると店の構成が対立視型に寄っています。 もしも、あなたが大型店のオーナーで、対立視の活性期に苦戦したとしらどうしたら |
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いいでしょうか。簡単ですね。セレクトショップのやり方を取り入れればいいのです。 対立視の時期は、大きな売り場を分割して小さな専門店が集まっているように見せかけると、そうしないより良くなります。内装をシロウトくさくしたり、陳列をゴチャゴチャと見づらく分かりにくくしたり、店や売り場の最前面から商品を撤去したり、入口を狭くしたりしても、そうしなかった場合より儲かります。個性的な商品を増やしたり、量よりも種類を追求したり、商品の入れ替えをひんぱんに行ったりすると、そうしなかった場合より儲かります。 実際に大型店は、「対立視」が来るたびに、毎回そういう対策を取るのですが、時期が遅すぎるためそれほどうまくいきません。対立視が終わって、同一視が始まる頃になってから、対策を本格化させることが多いのです。 あなたが金もコネもない若者で、起業を考えているのなら、次の対立視まで待った方が安全です。なぜなら、これから若者が同一視に戻り始めるからです。それまで待てない |
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のなら? アダルト市場で勝負しましょう。 (続く) *1 マンションメーカー マンションの一室で開業した小規模なメーカー。 *2 DCブランドのブーム マスコミが「DCブーム」と騒いだのは、もっと後の時期。DCビジネスがバーゲン中心となり、その行列の長さに大人が驚いた。 米3 平成ブランド 昭和から平成に変わった直後ぐらいに、ほとんど同時期に成長したブランド群。ヤングレディス向けで個性はないが安かった。 *4 日本型SPA 備蓄売り切り型の、欧米に多いタイプのSPAと区別するための名前。どちらの場合も商品企画機能を持った小売り。 *5 読者モデル ファッション誌の読者が、プロのように雑誌のモデルをする。一般の読者は仲間意識を持つ。 |
米6 ……意味があいまい
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ファッション用語は、短期間に意味が変わっていく。 米7 他の業界 どの業界もトレンドが振れる方向は同じ。ただし、スタート地点が違えば、振れた後の場所も違う。 米8 アパレルメーカー 直接的には物を作っていない。企画発注機能を持った問屋。 米9 ストリートファッション ストリートから自然発生的に生まれるファッション。 【関連ページ】 限定商品はやっぱり魅力的! 青神道に注目 07/10/12 転載 10/04/24 脚注転載 |
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第1章 流行の原因には「特定要因」と「循環要因」の2つがある 1-1 / 1-2 / 1-3 / 1-4 / 第2章 「曲」と「直」で流行が変る 2-1 / 2-2 / 2-3 / 2-4 / 2-5 / 2-6 第3章 デザインの流行は「上比長」「下比長」に分かれる 3-1 / 3-2 / 3-3 / 3-4 / 3-5 / 3-6 / 3-7 第4章 「同一視」と「対立視」を知って流行を読む 4-1 / 4-2 / 4-3 / 4-4 / 4-5 / 4-6 / 4-7c 第5章 「アリ型人間」と「キリギリス型人間」は交互に現れる 5-1 / 5-2 / 5-3 / 5-4 / 5-5 第6章 「エレガンス」と「カジュアル」もしくは「束縛」と「自由」 6-1 / 6-2 / 6-3 / 6-4 / 6-5 / 6-6 / 6-7 / 6-8 第7章なぜ、まったく同じ流行が起きないのか(3つの理由) 7-1 / 7-2 / 7-3 / 7-4 |